自分 or not

果たして自分は何者なのか、そんなことを考える。中学高校大学と、心身共に成長を重ねるにつれそれは希薄になっていくことが一般的ではあるが、成長に合わせて疑問が肥大化していく、というケースも存在する。一体自分は何者なのか。果たして自分は本当に自分の認識する自分自身そのものなのか。あまりにも青く、誰にも相談できずにいた恥ずかしい話、そいつを僕は話したい。

 

 とはいえ、己を認識する話というと「我思う。故に我あり」と言葉を残したルネ・デカルト氏の言があまりにも有名であるため、ここでは詳細は省かせて頂く。興味のある方はそちらを参照して頂きたい。むつかしい話は僕には良く分からないし、非常に眠たい話になってしまうからだ。

 

中学生の頃合い、精神が思春期と呼ばれる概念へと足を踏み入れる頃、僕らは自分自身について考える。「自分は一体何者なのだろうか」「自分という存在は必要なのか」「代わりなら、いくらでもいるのでは?」青く切ない思い出だ。そして思考は加速度的にその様相を肥大する。経験がおありではなかろうか。

 

そうしたエクスキューズから逃れるように拠り所として台頭してくるのが、立場、肩書き、或いは他者との関係性といった、個からへの脱却、相対的承認である。特定の誰かの特別な何かになりたい。社会的に必要な人間で在りたい。誰かに必要とされたい。ただただ、認められたい。そうした思考が、自分ではない他の誰かからの承認による在り方を確定させてしまう。自分は何者か分からない人間ではないのだ。僕は○○君の友達だ。とーーー

 

正しい姿だ。愛おしくさえある。そうして僕らは大人になっていくのである。

 

2年程前の話だ。ある一通のメールが僕の元に届いた。

 

 「結婚することになりました」

 

用件だけが簡潔に書かれたメール、それを送ってきたのは大学生の頃に付き合っていた彼女その人であった。瞬間、当時の情景が走馬灯のように脳裏を駆け巡りトリップ。教室の片隅、食堂の匂い、帰路のコンビニ、ケバブ。様々な思い出が蘇ってくる。手を繋いで歩いたあの道の景色も、同回生が来て慌てて離したあの手の感触も、今ではもう思い出せるか分からない、おぼろげな記憶。

 

 そんなセンチメンタルな気持ちに一瞬で陥ったせいで、そうか、良かった…などと素直に嬉しく思う気持ちのある反面、少し寂しく思ってしまったとしても、なんら不思議ではない。

 

「おめでとう。僕じゃ君を幸せにすることは出来なかったけど、幸せになってね」

 

こんな気持ちの悪い文章を臆面もなく書いてしまうこともまた、不思議では、ないよね。時刻が夜更けだったこともある。深夜、それは魔の時刻。窓の淵から滲み忍び寄る闇が僕の心を掻き立てる。曰く「ポエムを書け」と。

 

お天道様の下ではとても紡ぐことのできないラブ・ロマンス。溢れ出る情緒をポエミー・ラプソディに乗せて歌を紡ぐ。僕は歌を歌う。魂の思うままに。それはとても享楽的で、また、刹那的な、一夜だけの過ち。そして明くる朝思うのだ。なんだ、これはと。

 

起床即送信履歴を見て絶望、慌てて履歴を消すが消えるのは自身の携帯の中身のみ。相手の携帯電話には昨夜未明、電波と共に、或いはラプソディの調べと共にポエムのような文章がベッドイン。僕は空を仰ぐ。

 

そうしている内にメールを1件受信していることに気付く。彼女だ。彼女は昨夜の僕のポエムを読み、無視するどころかメールを返してきてくれていた。菩薩、いや、女神…マザー?その優しさは正しく慈愛そのものであり、相手の気持ちを慮ることのできる、正しき人間の姿であった。だって自分に酔ったポエムに返信なんて、面倒くさくて僕だったら絶対にしない。 僕は感動に打ち震えながらメールを開いた。

 

「え?私たち付き合ってたっけ?」

 

 眼球は微動すらを止め、文字の一文字一文字を見つめている。それぞれの文字がそれぞれに独立した意味を孕んでいるのでは?そう思ったし、そう思わずにいられなかった。一体、この文章の意図する意味は…?付き合って、え?付き合ってなかったの???

 

それじゃあ、ただでさえ『元カノにポエムを送信する』という自害すら辞さない蛮行を犯していた上に、付き合ってもいなかった女性に対して付き合っていたかの如く「幸せになれよな」などとやや上から目線のポエムを送りつけていたってこと?え?え?更によくよく考えてみれば学生当時、僕はずっと付き合っていたつもりで彼女と接していたいたけれど、彼女は彼女ではなかったってこと?僕は彼氏じゃなかった?僕は彼氏で?彼氏は僕じゃなくて?

 

 自分は果たして何者だったのか。僕は当時、彼女の彼氏であった。と思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。大学生の頃の僕が音を立てて崩れていくのが分かった。彼氏だと思い込んでいた自分の喪失、だとすれば、彼氏じゃなかったとするならば、あの時の僕は一体何者だったのだろうか。「勘違いストーカー」そんな犯罪的な言葉が脳裏を走る。

 

「ただの間男なんじゃ…」

 

みなまで言うな。時として正論は人をいたずらに傷つける。知らなくてもいいことは確かに存在する。正論で花は咲きますか。あの子の心は溶けますか。

 

 

あなたは本当に自分の認識しているあなた、なのか。僕は本当に僕なのであろうか。 果たして自分は何者なのか、 そんなことを考える。