あの浅ましい愛をもう一度
人から手放しで好かれたい。こんなさもしい欲求を抱いてしまった時、僕たちは一体どうすればいいのだろうか。
誰しもが少なからず一度は胸に抱いたことがあるこの劣情。森羅万象、有象無象のあまねく誰かに愛されたい…出来ればロハで…嫌われ者の彼だって、いつも一人のあの人も、僕らは誰だって嫌われたくなどないのである。
しかしそんな淡い幻想は、辛く厳しい社会を生きていく中で泡となって消えていく。ある時ハッと気付くのだ。誰からも愛される人間なんて存在しないのだ、と。
だけどそれでも嫌われたくないという気持ちは捨てきれないものである。いざ誰から嫌われたって関係ないさ!などと豪語してみても、刺さった後ろ指の数が気になってしまうのが人である。
そこにあって「みんなから好かれるなんて無理だ!」と真実をシャウトしてみたところで乾いた心にはまるで響かない。そんな正論は砂漠で水を一滴垂らすようなもので、真実で花は咲かないのである。
「それならば、全員からとは言わないけど、より多くの人に好かれたい」
余りにもさもしいスピリッツ。それはまるで子供の頃に見た夢が、成長と共に反比例するディストピア。これがダメであるならばあれで、あれがダメならこれで…言わせていただきたいのは、これは決して諦めなどではない。ということだ。これは大人になった、という証左だ。きっとそういう、ことなのだ。
悲しいのではない。ただ、少し寂しいだけだ。
そんな小さな欲求が、ゆっくり体に染み渡った、そんな頃の話だ。
「相談があるんだけど…」
携帯を開くと1通のメール、そこはかとなく哀愁を帯びたそれはどこか寂しげで、誰かに助けを求めているような、そんな気がした。そういえば、と思い出す。彼女は近頃酷く落ち込んでいたことを記憶している。
「最近彼氏が冷たくて…」
どこにでもある、だけどここにしかない話。電話で話した彼女の声はとてもか細くて、今にも崩れ落ちてしまいそうだった。「それは…辛いね…」思わずそう同情してしまったし、そう言わずにはいられなかった。
「それでね、それでね、」
矢継ぎ早に彼女の口から出てくる言はおよそ止まることを知らず、いつの間にか時刻は深夜の様相を呈していた。そうして心なしか少しスッキリしたような口調で、彼女は言った。
「色々聞いてくれてありがとう。君が彼氏だったら良かったのにな」
「えっ…?」思わず僕は聞き返す。いや、正確には聞き返せはしなかったのだけれど、思わず口から零れた「えっ」という一文字が、もう一度…と言っているような気がした。僕が彼氏だったら…?それは、一体どういう…続きは…?その言葉の、その先は…?
「それじゃ、おやすみなさい」
ちょっと待てぃ!!!相席食堂の真ん中のボタンがあれば秒で押しぬく下の句に、言葉にならない悲鳴を上げる。フォントだってでかくなる。ツー、ツー、と続く機械音がいたずらに思考を加速する。僕が彼氏だったら…僕が彼氏だったら…?いやそれどういう…えっ、えっ? 告白のそれでは?????!???!?
思考のラビリンスを駆け抜けるあの頃の僕。脳内にあるのはスーパーコンピューターもかくや、欲情のシナプス。回り続ける疑問、浮かび続けるクエスチョン。禅問答、これは答えのない物語。
彼女は一体なぜあのようなことを言ったのか。あんなことを言ったなら、勘違いしてしまう男だっているかもしれないのだ。僕を見てほしい。現に僕はその後まんまと彼女に恋を焦がしたのだ。彼女を守るのは僕しかいない!そう信じてやまなかったし、彼女を脅かす彼氏などという脅威、魔の手から一刻も早く救い出さねば…!!!そう思わずにはいられなかった。齢にして19の時、青く切ない思い出だ。
思うに、彼女は僕から嫌われたくなかったのではないだろうか。今となってはもう確かめようのない真意だが、前述したとおり、誰も誰からも嫌われたくなどないのである。そこにおいて『恋愛相談に乗ってくれる都合の良い誰か』なるほど確かに手放したくないことだろう。
最早確認する術もまるで持ち合わせていないが、おそらく、きっと、彼女はそういう心持ちだったのだ。そんな人間臭い憧憬を、誰が非難など出来ようか。いや、悲しいのではない。ただ、少し寂しいだけだ。
「え…いやいや…それってただのキープでは…?」
言うな…人の心は分からない。それが過去のことなら尚更である。人類有志以来、誰も彼も、人の心の内なんて見えたことなどないのだ。いたずらに己が妄執で判断を下すことは得策ではない。再三になるが、正論じゃ何も救えないのである。正論で花は咲きますか。心の傷は癒えますか。あなただって何も人を傷つける為に生まれてきたわけじゃないはずだ。その辺のことをよくよく鑑みて、もっと反省してほしい。
しかし、このような例は世界中で起こっている当たり前の話なのだ。ふとした瞬間に異性から思わせぶりな態度を取られたら(例えそれがキープでも…!)聞こえてくるのはファンファーレ、麗しき愛の讃歌。途端に苦しくなる胸はロマンチックのサイン。ブレーキランプを5回点滅させることだって厭わない…!という有様になってしまうのだ。以上から察するに、思わせぶりな態度というのはかなり有効だ、と認識せざるを得ないということだ。
このブログに別に教訓めいたエッセンスは存在しないが、もし「誰かから好かれたい…!」とさもしい愛を求めている誰かがいるならば、是非積極的に思わせぶりな態度を取って老若男女を振り回してほしいと願うばかりだ。
願わくば、それでうまくいった暁に、僕のおかげで幸せになれましたという想いと共に、或いは少しばかりの笑顔と共に、僕のことを少しだけでいいから愛してくれればと、そう思う。